「独自理論」は使わない

人にものを教えるときに、かなり独自性が強い説明をする人がいます。

 

例えば、英語の世界でいえば「五文型なんていらない」的なことを言う人です。

 

その手の説明を聞いて、時には「そういう考え方もあるな」と思うこともあります。

しかし、やっぱり違和感が残る・・・

たぶん、そういう「自説」には、我田引水的な強引さがあったりするからだと思います。

そもそも、その考え方が本当に有用なら、セオリーとして定着しているはずです。

しかし、現実にはそうなっていない。

 

そういうことだと思います。

 

 


上の「五文型なんていらない」についていえば、その背後にあるのは、多くの生徒の

 「五文型ってよくわからない。なんか面倒くさい」

という心理でしょう。


だから、そういうのに飛びつきたがる人が出てくるわけです。

そういうマーケティング的な狙いが「独自理論」にはあったりする。

 

しかし、「五文型なんていらない」ではなくて、その重要性などをしっかり説明するのが教える側の仕事のはずです。

 

 


五文型はあくまで一つの例ですが、そういう「オーソドックスな基本」が分かってないと、他の参考書などを読んでも、その説明をよく理解できません。

だから、必ずどこかで躓いてしまう。


少なくとも私は、自分の生徒に「(クセの強い)自説」を押し付けるのはよくないと思っています。

そうではなくて、「最大公約数」的なオーソドックスな内容をできるだけ効率的に伝える。

そこに注力するつもりです。