授業が退屈でつまらないのは、基本的に教える側の責任です。
教える側の能力・努力・工夫が足りない、ということだと思っています。
しかし、次のような話もあるんじゃないでしょうか。
教わる側は、教師に「完璧」を求めているところがあります。
もし教師が、何か細かいことの1つでも知らなければ「コイツはプロの先生なのに、こんなことも知らないのか」などと言われかねません。
教える側としてはそれが恐い。
だから、どうしても守りに入るわけです。
できるだけ限られた範囲の決まりきったことだけを教えるようになる。
いつも使っているテキストをスケジュール通り消化することを再優先する。
そういう安全策に走ってしまう。
・・・このようなことが、授業を退屈でつまらないものにしている一因ではないかと思います。
生徒の興味や知的好奇心を刺激するために新しい試みをするのは、教える側にとって、相当のリスクがあるのです。
ですので、教わる側が教師に"完璧"を求めすぎると「付け込む隙は少ないけれど全然面白くない」授業が多くなります。
もちろん、お金をもらっているプロの講師として、相応の研鑽・準備をするのは当然のことです。
しかし、例えば英語であれば、自分がいつも使っていて全ての英単語を知っている教科書だけではなくて、時には「ぶっつけ本番」で、知らない単語を飛ばしながら話題の英語ニュースを読んでいくような授業もしたいと思っています。
時にはそういうやり方もする方が、「自分は何でも知っている」みたいな顔で授業するよりも、より"リアル"な英文読解のコツやプロセスを伝えられるはずです。
そして、そういう柔軟性を発揮できるところが、個人塾の一つのよさだと考えています。